コラム

2021 初夏コラム

新型コロナワクチンが高齢者にもいきわたるめどがついた。予約開始の日長蛇の列や電話対応に個別接種を受け付けた医療機関は大変だったようだ。これを見ると高齢者の「生きる」ことに対するエネルギーを強く感じる。経済を支えている人たちを優先に・・なんて考えの方もいらっしゃるとは思うもの、何とも言えない複雑な気持ちになった。私も高齢の母を抱えており、今年になって体調を崩し入院から介護施設という流れで今は至れり尽くせりの贅沢なところにお世話になっている。母は働いており年金も驚くほどたくさんもらっているので、少しの個人の預金とあわせておおむね賄えるので、経済的な負担は抱えてはいないが、人ひとりが生きるための毎月の必要経費の多いことを改めて考えることになった。

今回このコロナ有事に対する経済支援や医療支援には莫大な国家財源が使われ、高齢者を支えている年金も働く人たちの税金が使われていることを認識しているのだろうか。これから日本人はさらに高齢化が進み、社会福祉政策、年金制度は実際いつまでも安心しておられる状況ではない。

土曜版の新聞で、「大往生は医療費を抑える」という項目が1面を飾った。老衰と脳卒中で亡くなる人が多い県は医療費が低いという。ただ脳卒中は突然死にあたり望ましい死とは言い難い。老衰が多くということは死亡原因となる病気がなく寿命を全うするケースだ。

三重、静岡などはそれにあたり在宅医療を担う診療所の率が多く、自宅での看取り体制が根づいている。湘南地域はモデル地域らしい。

また医療費の少ない地域は高齢者の就労率が高く、保健師の数も多い傾向にある。いつまでも体を動かし、地元の食材を昔ながらの食べ方でバランスよく頂き、地域ぐるみで健康を管理することが評価されている。いろんなまゆつばの健康法や健康食品と言われるものが実は無駄な出費と逆に不健康につながることも認識をする必要がある。

「ピンピンコロリ」という理想の逝き方を希望するとお年寄りの口から聞くことは多いが、その裏に本心はコロリと行くのはまだまだ怖い、いつまでもいつまでも生きていたいという心理が見て取れる。いつまでも生きるということがとてもつらい生き方になっている超本人(実母)の面会に通っている私は「生きる」ことに関してちょっと斜めな見方になっているかもしれない。(あくまでも個人的意見です)                                   院長

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