10月末から11月末の1か月で3本のフルマラソンを終えた。
残念ながら前年より疲れが取れにくく、タイムも遅くなり、言い訳だが加齢を感じざるを得ません。
身体的な疲れはもちろん、それよりも精神的な力が無くなっており、「粘り」いわゆる折れない気持ちが続かない。
しんどいと逃げることばかり考える。
リタイアの文字が常に頭から離れない。
最後の5キロくらいまで来るとやっと安堵とここまで今回も走れたことに対する感謝、強い健康な体をくれた親に感謝、そしてマラソンコースの応援の人たち、運営ボランティアの人たちへの感謝の気持ちが大きく盛り上がってくる。
そして完走。
以前なら頑張った自分へ絶賛!!だったが、今は終わったことの安堵ともう走らなくていいんだという休めることへの喜びしかない。
ランニング中にも最近悩んでいるIBS(過敏性大腸炎)でしょっちゅう便意に苦しめられ、トイレ探しと腹痛との闘い。
もう何度やめようと思ったか。
ランニング以外ではほとんど出ない。
きっとランニングが体にストレスなんだろう。
しかし、一緒にあちこち遠征する仲間との前後の宴会、旅行が楽しくてそのためにやっているようなものだ。
また地元の人たちのエイド、応援も本当にこのスポーツならではの楽しみである。
私は山でいえばピークハンター(山の頂上に上ったということに達成感を得る人)ではなく、ランニングを遊びながら楽しむ。
景色、食べ物、人の温かさを自分の栄養にするためにやっている。
タイムハンターは、エイドも取らなければ多分景色も見ない。
早ければ早いだけ喜びを感じるからトップに立つことだけを目標にして走るので全く世界が違うのだ。
先日新聞で見た、イタリアの草自転車大会「エロイカ」のことを話したい。
ルートは絶景のイタリアトスカーナ。
ルートの大半は砂利道。
タイヤを翻弄する石と悪戦苦闘する。
それでも大人気なのは、参加者たちと感じる空気、いつまでも続く白い道、素晴らしい田園の景色をひとりひとり自分のものにしながら走れることだ。
早くなくても、完走してもリタイアしてもそこまで走り切った時の達成感がエロイカ(イタリア語で「英雄」)たちの心を捉えて離さない。
全長32㎞から209㎞までの数コースあるが、ルートの途中ではチェックポイントと休憩所が設けられている。
このレースは順位をつけないので、人によっては制限時間を有意義に使い、休憩所に用意されたハチミツが塗ってあるパン、パイ、バナナ、生ハム、チーズとビールやワインを椅子にかけてゆったりしながら一杯やっているなんてことも珍しくない。
休憩ポイントでは臨時の自転車修理工房も設けられ、悪路を走るレースの為みんな並んでタイヤのパンクやギアの調整をしている。
ロングルートの完走者には地元名産ワインと専用のお立ち台での記念撮影。
レースが終わると誰もが英雄になれている。
日本のマラソン大会も順位をつけず、タイムを争わず、自己申告タイムで走るようなもの、スイーツや地元の名産を食べながら楽しむような「なんちゃって健康ランナー」のための大会が増えると、年寄りになっても無理をしないで参加できるのではと思っている。
フルマラソン42キロを走るために体を壊してでもと後半頑張りすぎている方、明らかに無理をしているランナーを見ると「がんばりすぎる」ことに対する啓蒙は医者として発信していたい。
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