新しい年になっていろんなことが起こっている。
当たり前だが、平成を振り返る番組を見ても本当にいろんなことを体験しながら、いろんな変化に遅れてもついていきながら、何とか新しいシステムにも適応してきた。
精神科的に適応障害という病名があるが、新しい環境や考え方、生活習慣になれるのは大変である。
特に近年その変化が激しい。
だからだろうか、よいものをじっくり使うことが減ってきたように思う。
家電も仕事で使う機械もまだまだ使えるのに修理に出そうとすると部品がないとか、保守期間が過ぎているから買い替えてもらわないといけないなど、使う側の希望も何も製品を作った側が決めてしまっているものも少なくない。
「じっくり」という言葉を考えてみた。
じっくり見ていく、すると何となくそれの悪いところではなくよいところが見えるようになる。
急いでは見えないものがある。
そのためには辛抱して使ってみる、見てみる。そして考える。
どこかを変えてみたりしながらうまくそれと付き合おうとしてみる。
体に関してもそう。
すぐ病院に行く、薬を飲むなどが安心につながることばかりではない。
早く行き過ぎて診断に至らない前に結論が出てしまうこともあり「様子を見る」ということができないことが多くなってはいないか。
また、個人個人が自分がどうしたいかという主張がしやすくなっている今日この頃、物事の考え方がどうも自分中心であるように思うのは私だけだろうか。
周りのことを考え、自分がこの行動をとることでどんなに困るだろうか、自分は自己実現できるがその周りは自分と同じように幸せな時間を持てるのだろうか。
集団で何かをやっていくことが本当に難しくなっている。
ロボットがでてくるのもしかたないだろうなあ。
私は人と人との付き合い、つながりが大好きで、自分よりまず人のことを考える。
とてもとても自分がどうしたいかなんて行動に移せる勇気なんてない。
これって古いのでしょうか。
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